Kaori’s diary

旅行記!

昔のipadに

本日は1週間前の面白いストーリーについて。
忘れる前に書いておきたいなーと。
気分の良いビーチサイドのバーでようやくこのクソダメキーボードを使って。
もちろん大好きなビールと共に。
(昨日はパスポートを部屋に忘れた挙句、免許証を苦し紛れに出したけど、昭和?分からないわ!横のコーヒーショップにでも行ったらどう?とかやんわり言われてしまったので、今日はリベンジマッチw)

ウィリアムレーネンさんというハワイ島在住アメリカ人サイキッカー吉本ばななさんと本も出してるのでみんな読んでみてくださいね!)の方と話した時の話が秀逸過ぎて。
ツアーに参加したみんなとさよならパーティーをしていたときのハナシ。
レーネンさんの以前のトークショーに参加した姉さんが「レーネンさんのセックスについての話はとても興味深い」と言っていたのを聞いた私は、酔った勢いでその話をレーネンさんに振ってみた。
にやりといい表情に変わるレーネンさん。
でも、そこから待ち受けていたのは下衆な下ネタやロマンティックなストーリーでもなんでもなくって、とっても衝撃的で、それでいてかなり真実味のある話だった。
これを読んで、賛否両論あるかもしれないけれど、私は彼のストーリーを支持している。

セックスはエネルギーの交換である。
その行為は多くの人が信じているような悪ではない。恥ずかしいことでもない。
ただ、単純にエネルギーの交換なんだ。
多くのあらゆる宗教がいずれはそこにたどり着く、それかそこから派生している。
すべての源とも言える。
多くの人は、セックスとは子供を授かるためにのみある行為であって、それを伴わない(快楽のためにする)セックスはタブーだと思っている。
しかし、本当にそうなのだろうか?
子供を持つ為だけに必要な行為なのであれば、何故性別を作る必要があったのだろうか?
あくまで私の意見であるが、性別が存在するということは他者を必要とする行為が必要だったからではないのだろうか?
そして、その行為はエネルギー交換に他ならない。
私たちは、多かれ少なかれエネルギーを交換して生きている。
文字通り1人では生きられない。
(もちろん人間以外とエネルギーの交換は可能だが)
そのエネルギーの交換の最たるものがセックスなのだ。
それによって私たちはライフフォースを得ることが出来る。
戦争について言ってみれば、歴史においてそこには必ず戦士を癒す為の女性がいたはずだ。
昔々、セックスは戦士にライフフォースを与え、勝利へ導くものだと考えられていた。
そして、その相手である女性も与えるのみならずライフフォースを享受していた。

そこで私は疑問に思って聞いてしまった。
日本で問題になっている従軍慰安婦についても同じかと。